[37日目]海外でバドミントンのコーチをするのに必要なスキルは「諦める」こと

鈍感力

代表選手としてのモチベーションなんて皆無に等しいネパール代表の選手たち。

今日も元気に練習中に遊んでいる姿を見ながら「まあ好きにおやりなさい」とほぼ放置。

何度指導しても一向にこちらが求める“練習”にならないからこちらのモチベーションも上がることなく座って彼らの“お遊びバドミントン”を眺めていたわけです。

すると一人の選手が僕のところへ来て、

「コーチ、どうした?何か悲しいことでもあったのか?失恋か?!」と声をかけて来たのです。

「あほたれ!お前らがちゃんと練習しないから呆れてるんじゃー」と心の中で叫びながら、

「なんで?失恋でもしたように見えるの?」と聞くと

「ネパールでは頬杖を付いているときはとても悲しいことがあった時と見なされるんだよ」と恐ろしいほどの鈍感力。

そして「せっかくだから両手で頬杖付いた写真も撮りたいからポーズとってとやらせの強要。

もう好きにしてくれと思いながら「やっぱり鈍感力って生きる上で必要な能力だよな」と実感するわけです。

見捨てる僕を見て「失恋か?」と解釈する資質って逆にいいことなのではないかなと。

多くの日本人は他人の空気感や視線を気にして行動する傾向にありますからね。

こう見えても実は僕も結構周囲の空気を気にして生きるタイプ。

まあ時と場合によりますが。

 

意味不明

そんな目の前でノックをする一人の選手。

ふと見るとなぜか靴を脱ぎながらノックをしているではありませんか。

“お前何が楽しくてこの汚い体育館で靴を脱いでノックがやりたいんだよ”

と、思いながら彼らの練習を今日も見守るわけです。

練習中でも容赦無く天井から鳩のフンが落ちてくるわ、時には卵が天井からも降ってくる。

そして極め付けに今日に至っては天井で召した鳩が、生涯を全うして力尽き天井から降って来ました。

天井から鳥の死体が降ってくる環境を見ながら、

“まあこれじゃあ代表選手としてのモチベーションをキープするのは無理か・・”

そんなことを思う2074年12月11日でした。

 

ネパール暦

ネパールやインドでは地球で一般的に使われている暦はあまり反映されていないのが一般的。

上記のしたように、今日は2074年の12月11日というわけです。

ですので、どこに行っても記載されている西暦は2074年なんです。

最先端走ってるんだぜ、ネパールは。

 

意味不明2

大体嫌な練習が始まると「今日はできない」と言い出す女子選手のソーバちゃん。

面倒なのでいつも「オッケー★」と一言で返答を返します。

そして今日もいつもの通り「今日はできない」というので休んでいたかと思うと、チョコレートを食べ始めます。

「このままじゃネパールバドミントンはダメなんじゃ!」といつも助言を求めてくる代表コーチの一人も一緒になってチョコレートをボリボリ。

そんな彼らを横目で見ていると、

「コーチ今日はどうしたの?体調が悪いの?」とチョコレートを差し出します。

鈍感力、やっぱ大事やわー。

“せめてチョコレート食べないにしても大人しく座っててほしいねん”

と、思いながら彼らの文化を尊重しチョコレートをもらいます。

彼らにとっては悪気があってやっていることではないですからね。。

“あーあ、今日もめちゃくちゃな練習日だー”

そう思いながら「おーい、今日はここらで練習終わりナマステー」と切り上げます。

 

クールダウンしてくれない

「じゃあクールダウンして終わるぞー」と言うのに、ただ座り込んで話をするだけのクールダウン。

「まあ好きにしたまえ。怪我をするもしないも君たちの自由だ」

そう思って彼らを放置するわけです。

 

俺たちが発展できない理由

そろそろ僕のここでの活動も終盤を迎えて来たので代表選手のエースとちょっと話をした時に彼が言ったこと。

「俺たちには先進国のような最新テクノロジーがないから発展できないんだ」と楽な言い訳をかますわけです。

「あのさー、最新テクノロジーのトレーニングあっても君ら代表選手としてやる気ないじゃん?日本のバドミントン選手だってプロじゃないんだぜ?仕事をやった後に練習してる。君らと同じだよ」

そう言っても「俺たちは先進国のような環境が・・」とか、このように何かと言い訳をしたがるのがネパール国民の特徴。

これはバドミントンや他のスポーツに限ったことではなく、国民全体のマインドとしてはびこっている共通意識なんです。

 

諦める幸せ

ある意味生きる上で諦める幸せってあっても良いのかなと思うこともあります。

常に売り上げを上げないとダメな社員と見なされたり、現状維持でいると向上心のないやつと見なされて烙印を押されてみたり、日本では諦めること=ダメな人 と見る傾向が他の国に比べて強い傾向があります。

そしてそれらがもたらす影響は人としての精神的豊かさを奪う人間社会を生み出します。

スポーツに限っては諦めることは良しとは思いませんが、人生をトータルで考えた時にある意味どこかで諦めの線引きをすることで幸せに生きる選択肢をチョイスしているのかな、

そう考えることもあります。

先進国とは違って、後進国ではそういったマインドを持つことで精神的豊かさをキープする防衛本能みたいのがあるのかもしれません。

別に頑張って生きなくてもいいじゃん、みたいな。

 

まとめ

僕は今外国で代表クラスのバドミントンをコーチングするというミッションを行なっていますが、根底にあることは旅をすることもブログを書くことも、トータルで考えて人生の精神的豊かさやワクワクすることにフォーカスして生きて行くと決めています。

いつも思うのが自分が死ぬ時に「ああ面白い人生だった」と思えるようにある意味ふざけた人生を全うしたいわけです。

その中でもちろんバドミントンのコーチングに関しては彼らに少しでも上達してもらえるよう僕なりの真剣さでコーチングはしてはいますが。

最近よく思うのが「先進国の人よりも後進国の貧しい国の人の方が笑顔で生きている!」

そんな言葉を聞いて「それらは美談として作られた言葉で彼らには彼らなりの不安や不満もあるだろ」と言うこと。

日本で生活をしようが、ストレス社会で生活をしようが、先進国で生きる我々には多くの選択肢があるのです。

地球上どこの国へも簡単に行ければ、仕事を選ぶことも仕事をやめる選択肢もあります。

9割の豊かさにフォーカスせずに1割の不満にフォーカスして自分の人生をネガティブに考えたり、卑下する心を一人でも多くの人が取り除いて人生を生きるべき。

何も後進国の人間の方が笑顔で生きているわけではありません。

多くの日本人が“笑って生きる”という選択肢を捨てているだけのことです。

あなたは死ぬその時に「まあ面白い人生だったわ」と思って目を閉じることはできますか?

それができないと今思ったなら、何かを変えるべきだと僕は思います。

僕らが思っている以上に人生は儚いんです。

 

 

関連記事

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

元バドミントン全日本ジュニアチャンピオン。高校在学時に全日本総合選手権に出場。高校で選手を引退した後、アジア、南米、北米、オセアニアを旅する。アジアでは旅をしながらバドミントンで遊ぶ。帰国後は沖縄の宮古島や淡路島で島暮らし。バドミントン元ネパール代表コーチ。元メキシコジュニア代表コーチ。一般社団法人JADP公認メンタル心理カウンセラー&上級心理カウンセラー。勉強しない子供より、遊ばない大人を心配する37歳。