批判されない=認知されてない
初めて世の中に自分書いた本を出した時、初めてネットの世界でディスられました。
無料期間で購入したのにも関わらずクソミソに。
正直これを読んだ時、最初はショックと腹立たしさが込み上げました。
しかしそれと同時にアンチが出たという事は人から評価される土俵に足を入れたんだとも思ったんです。
ありがたいことに高評価のレビューが多いのは、僕の知人が評価してくれているからです。
しかしそれはやはり友人だから感情移入もあるでしょうし、知人の優しさもあることでしょう。
このアンチコメントをしている人は知らない人なんですが、自分が知らない人に評価をされるというのは一番真っ当な立場でもあるのです。
僕たちも同じようにテレビを見てつまらない番組は「つまらないね」というし、面白くない記事はすぐに読むのをやめるでしょう。
それと同じように、世間に何かを発する、何かを生み出すという事は世間からの評価を受けるという段階に入るのです。
アンチのいないトップはいない
トップアスリート、トップアイドル、名のある著名人。
彼らに共通して言える事は絶対にアンチがいるという事。
イチロー氏だって、本田圭佑選手だって、SMAPだって、ホリエモンだって必ずアンチの人は存在し、彼らを評価しています。
しかし例えばどうでしょう。
全く売れていないタレント。世間に名も知れていないスポーツ選手。発言を全くしない政治家。
彼らは周囲にいる自分の身内やファンで賞賛される事はあっても、知らない誰かに批判されることはありません。
なぜならそこまで知れ渡っていないから。
自分を賞賛してくれている仲間内の外の世界へ出れていないという事です。
アンチは作るのではない
わざわざアンチを作っている人は論外です。
例えば、人の悪口や批判を言ってアンチを増やそうとしたり、あげ足ばかりを取ってアンチを増やそうとしている人。
アンチを作るのと湧かせるのでは意味合いが変わってきます。
僕自身、端くれではあるものの何かしらで評価をされる立場で活動しています。
ただまだまだ「いいね」や「面白いね」のレベル。
「お前のやっている事は大した事ない」「全くつまらん」
こんなコメントが多く寄せられるようになってようやく半人前という事です。
そうです、そこでようやく半人前です。
評価をされるということ
あなたはスポーツを見ていて選手を批判的に見た事はありませんか?
「あそこであいつがシュートを決めなかったから」
「あのピッチャーは全くダメだった」
「あの場面で三振とかありえない」
これらはテレビを見ている人や観戦している人がその選手を評価しているからです。
このブログはバドミントン関係の人が閲覧しているのが多いのでバドミントンで例えるならば、
バドミントン選手は基本的に批判されないアスリートだと感じます。
答えは簡単。それだけ世間の認知度が薄いからです。
批判する人がいるスポーツいないスポーツ
サッカーにしろ野球にしろ、必ず辛口のコメンテーターやアンチは存在するスポーツです。
サッカーで言うならばセルジオ越後を筆頭に様々な辛口コメンテーター、野球では張本氏など。
しかし、これらのようなコメンテーターは認知が薄いスポーツになればなるほどいないのが現状です。
バドミントン関係者なら「はっ」とした人は少なくはないのではないでしょうか。
認められたい→批判されたい
多くの人は他人に認められたいと言う承認欲求があると思います。
しかし、他人に認められたいのであれば目的は「批判されたい」に置くと良いのではないでしょうか。
批判をされる裏側にはあなたを認めている人が大多数存在します。
大多数の人に賞賛される事は良いことかも知れませんが、そのさらに上を目指したポジションを考えるのであれば「批判されたい」と言うマインド設定も大切なことです。
少し過激的なマインド設定かも知れませんが、それを持つことができてようやく他人から厚い信頼を得ることができるはずです。
恐れずにその考えを持つ事をお勧めします。
まとめ
知らない誰かであっても誰かに批判されるのは嬉しくはないですよね、特に最初は。
冒頭にも記述したように、僕自身ネットの書き込みで「つまらない本」と書かれた時はショックでした。
しかし、評価をされる人というのはこれらのことは日常的に当たり前に言われていることであって、それらを意に返さず世の中に何かを生み出し続けています。
批判ばかりされるのは精神衛生上良くはない事かもしれませんが、それらを恐れず世の中に何かを生み出し、発信する事をお勧めします。
でも批判はされても批判はしてはいけませんよ。
ここだけはお間違いなく。