今晩ベッドに入って明日の朝もまた目覚める。
その根拠は?
保証は?
毎日を今日死ぬと思って生きているか
去年親友が目の前で死んでいった。
その時に決めた。
「やりたいことをやる。自分の心に従って生きる」と。
自分がどのようにして生きていたいか。何をして人生を楽しみたいか。
周囲が作り上げた常識で自分の常識を作り上げることはない。
死ぬその瞬間に後悔だけは絶対にしない人生を過ごす。
「あぁ、俺の人生はもうこれまでか。あれをやりたかったな、こんなこともしたかったな」
絶対にそんなことは頭に浮かばない。
今、目の前に銃口を突きつけられたとしてもだ。
恥ずかしいこともあった。失敗もあったしこれからもする。途中で諦めたこともあった。
でもそれがどうした。
死ぬ瞬間に思い浮かぶのはそんなことじゃない。
やり残したことを思い出し後悔するか、死んで悔いなしと満足できるかだ。
高校生で全日本総合にも出場し進路を決める頃、両親に「バドミントンはやめて留学したい」と告げたが受け入れられなかった。
「どうしてここまで続けたものを辞めるのか」と。
答えは簡単だ。怪我もそうだが選手としての情熱が湧かなかったからだ。
それならばと思いいつか自分で国を出ると決めた。
しかし大学を卒業し働きに出ると仕事に追われ現実と向き合うばかりだった。
そんな時に職場でアテネオリンピックに出場しているかつてのライバルをテレビで目にした。
「俺は今の人生に満足か?本当にこれで死ぬ時に後悔はしないか?」
そう思うと仕事を辞める準備をしていた。
「世界を旅したいから会社をやめさせてほしい」
そう上司に伝えると
「お前はそれでいい」と背中を押した。
今思うと世界は狭かった。自分も小さかった。
そして日本に帰国して数年。
僕は無駄に時間を浪費した。
やりたいことをやりきった僕は時間潰しの時を日本で過ごした。
そんな時に親友は亡くなった。
あなたは、君は今日死ぬと思って毎日を過ごせているか。
いきなりその時はやってくる。
予告もなしに、時には予告を宣告されるかもしれない。
「残り余命1ヶ月です」と。
その時に慌てふためくか?僕は慌てない。
「そうか。いつもそのつもりで生きてきたから大丈夫」
と言える。
例えばこれを読んでいる君が部活生だったとしよう。
君は今日死ぬ気で部活の練習をしたか?
それでなければその練習は時間潰しにすぎない。
君がなんとなくやっている練習の裏では死ぬ気で練習をやっているライバルがいる。
そんな奴に君が勝てるはずがない。
もしくはこれを読んでいる趣味でバドミントンを楽しんでいる人。
あなたは今日死ぬならと思ってバドミントンを目一杯楽しむことができましたか?
それでなければ次からは絶対に目一杯楽しんでバドミントンをやることをすすめるし、普段の生活も楽しむことをすすめる。
明日事故で死ぬかもしれない。いきなり倒れて意識が戻らないかもしれない。
それなりの歳になればそんな友人周囲に何人かいるであろう。
それが自分には当てはまらないと思っているのは皆同じ。必ずあなたにも訪れる。
若者に言う。
周りの常識で自分の心を曇らせることは必要ない。
今やっていることをやめたければやめればいいし、やりたいことがあるなら他のことを捨ててでも突き詰めればいい。
自分のやりたいことと周囲の押し付ける価値観が違うことだってある。
だけど気にするな。一切気にするな。
君は「今日死ぬとしたらこれに情熱を傾けれるか」
それだけを意識して生きていればそれでいい。
それがまだないならいくつになっても探し続けたっていい。絶対に。
それが人生の正解だ。